ぐんま天文台見学 3
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ぐんま天文台見学 3 (sano, 2006/4/22 12:18)
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投稿日時 2006/4/22 12:18
sano
投稿数: 2785

ぐんま天文台見学 3 (2006/3/25〜26)
ぐんま天文台に行って、名久田教会を見たので、この教会のことを少し。
群馬の山あい高山村に明治20年献堂の小さな洋風教会、名久田教会があるのは、
同志社大学の創設者、新島襄(にいじまじょう)と関係があります。
新島襄は安中藩士の子として江戸神田に生まれます。
生まれは神田ですが安中藩士の子ですから故郷は上州安中(群馬県安中市)にあります。
青年時代に聖書に出会い、キリスト教の教えに惹かれ、幕末まだ渡航禁止だった
アメリカボストンに密航します。
運の良い出会いもあり、彼地の学校で学び、キリスト教の洗礼を受けます。
新島はその後自らの実力と、幕末から明治へという時代変化の中で、日本政府要人
との出会いにより正規の留学生として認められます。
通訳を務め、欧米の教育を視察するうちに日本でもキリスト教に基づく教育の
必要性を感じるようになり、学校創設のため、明治7年に帰国します。
帰国後、最初に伝道を行なったのが故郷、安中です。
明治11年には安中教会の前進が出来、安中の教会堂は16年に出来ています。
この地域は明治初期に新島の布教活動によりキリスト教が広まり、その教えに感銘した
人々によって、周辺各地に献堂が造られたようです。
名久田教会もそのひとつであり、他の地域が手狭や老朽化によって立て替えられる中、
小さな集落の分会堂であったためか、補修を受けながら120年の時を刻んできました。
安中教会も大正3年に大谷石造りの素敵な会堂へと立て替えられています。
そういう点では、名久田教会は 新島襄 の時代を今に伝える建物であるといえます。
いまでも、安中周辺は同志社とのつながりが強いと聞いています。
日本でよく知られるキリスト教派は、日本カトリック教会と日本基督教団ですが、
新島が伝道したのは新教(プロテスタント)。
したがって名久田教会の所属は、日本基督教団、となります。
同志社大学もプロテスタントの学校ということになります。
九州長崎に多く見られるカトリック教会の会堂は、独特の華やかな様式的特徴が
ありますが、プロテスタントの会堂は簡素であまり形にはこだわらないようです。
名久田教会も新教会堂の特徴であるあっさりとしたデザインです。
土蔵壁漆喰塗りは今も変わってませんが、屋根は元は板葺きだったそうです。
何よりも注目したいのはきれいに守られていることです。
幾度と補修されているので、明治のノスタルジィーを期待する向きには受けませんが、
山あいの集落に忘れられたように残るこの建物には、代々信仰しこれを守る人々の
姿が見えます。
(つづく)
(すみません、名久田教会の話だけになってしまいました)
(内容は間違いがあるかもしれませんので旅行がらみの読み物としてながめて下さい)
(画像クリックで拡大)



寄り添うような老桜が似合う小さな教会。
この桜も献堂と同時に植えられたのかもしれない。
献堂当事は、前面の道路も未舗装で幅も狭く、荷馬車が通るような道だっただろう。
たぶん石積みも生垣も無く、道とつながったような状態で、正面から自由に入って
いたものと思います。
内部は講壇や説教卓、椅子なども当時のままだそうです。
玄関上部には漆喰仕上げの龍の彫刻が見られます。
教会建築の知識の無かった地元職人の手によるものですが、龍はキリスト教では
悪魔的なものなので、後に龍の頭だけ取り去ったままになっているそうです。
地元職人の熱心な想いとずれが出てしまったけれど、西洋化に向けて突っ走った
当事の面影がうかがえます。